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焼肉居酒屋 みのり




焼肉居酒屋みのり


■カウンター席は10席あります。マスターと会話をしながら一人焼肉を楽しみませんか?
■カウンター席の後ろに桟敷席がございます。少人数でゆっくりされたいときにお使いいただけます。
焼肉居酒屋みのり店内
■桟敷席は3名様から8名様までお座りいただけます。2テーブルをつなげますと15名ほどの宴会も行うことが出来ます。
焼肉居酒屋みのり店内
■奥座敷席もございます。2〜4名様用テーブルが3席。8名様から貸切にてお使いいただけます。
焼肉居酒屋みのり店内
焼肉居酒屋みのり店内
焼肉居酒屋みのり店内
焼肉居酒屋みのり店内
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焼肉居酒屋みのり


小林一則

小林一則
日本料理人が始めた焼肉居酒屋。

焼肉居酒屋みのりの創業者であり、味付け豚ホルモン料理みのり焼きの開発者である小林一則は、中学卒業と同時に「日本料理」の世界に入った。
数年間の厳しい修行時代を送った後、若干24歳にて独立。
「みのり」の名で食堂を始める。
食堂を始めた地が、以前は焼肉屋だったことから焼肉の料理も出していた。
「店の目玉商品の必要性」を感じたことから、オリジナルの味付けをほどこした豚ホルモン料理を開発。度重なる失敗を経て現在の製法、味付けに至った。
みのりのオリジナル商品ということで商品名を「みのり焼き」とした。
店の移転を機に焼肉をおつまみにお酒が飲める「焼肉居酒屋」に転身、現在に至る。

日本料理は四季を感じ、素材の味を活かた五感で楽しむ料理。
みのりは焼肉という外食ジャンルに「日本料理の味」を盛り込んだ「焼肉居酒屋」なのである。
カウンター席にちょっとした盆栽が置いてある、煙が充満する店内なのに壁が油っぽくない、また換気扇が真っ白であることは「和のもてなし」に通じている。

小林一則
また、一則は47歳より「トライアルモーターバイク」にのめり込んでいる。
コース取りなどの迅速な判断力と、ココゾと言う時の集中力はどこか料理の世界と通じる部分があるのかもしれない。

小林一則の趣味を紹介したブログ
★トライアル人生
http://www.minoriyaki.com/trial/




小林義則

小林義則
みのり2代目である小林義則は、師匠である先代より「みのりの味付け」と共にその熱き思いも直伝された料理人である。
常に情熱を持ってお客様と対話をし「みのりの料理」をもてなしている。

また、「みのりのホルモン伝導師」を自称し、
みのり焼きを全国の庶民食になる”ことを夢に見て、日夜店舗営業とホームページ更新に明け暮れている。

みのりのホルモンの素晴らしさはその鮮度にある。
店の隣町に豚の処理場があることから、毎日新鮮な豚ホルモンが手に入る。その日の新鮮なホルモンを臭みを取るために丁寧に何度も手洗いを繰り返す。
先代の時代より40年間続けられてきた製法と、40年間「減っては足す」を続けられてきた「秘伝のタレ」をしっかりと守り続けている。
生ホルモンを自信をもってお出しするには、手間隙惜しまず、単調な仕事を長時間行う事が必要なのだ。
先代の味と意思を継ぎ、今日も日本全国のみのり焼きファンのために、心を込めてみのり焼きを作る。

小林義則
義則がみのりと共に愛しているのが、みのりが店舗を構える「長野県須坂市」である。「郷土知は郷土愛の元なり」の心で須坂市探検隊隊長として、ホームページを開設し須坂市の歴史文化を全国へ情報発信している。
また依頼があれば、須坂市の町並みを案内する活動も行っている。

★須坂探検マップ
http://www.suzakamap.com/





焼肉居酒屋みのり

時は今より四十数余年前。
長野県須坂市はこれまでの製糸業の町から精密機械の町へと変換の時期を迎えていた。その中でも富士通須坂工場では数千人もの従業員が働き、朝の出勤、昼の昼食、夕方の帰宅時には蜂の巣を叩いたのごとくに人が出入りしていたのであった。

富士通須坂工場の目の前にあった「富士食堂」。
若き板前兄弟が切り盛りするこの店にも昼夕時には溢れんばかりの人々が来店いた。

この兄弟見かけは若いが、高校時代から須坂市の隣、長野市権堂町の名門「料亭松竹」にて十数年間四季の料理と和食の基本を習った後、あちこちの旅館やホテルの板前として修行を積んできた という経歴をもつ根っからの板前兄弟。この兄弟はお互い妻子があったが、二家族狭い店内にて住み込みで働き、いつか大きくなることを夢を 見つつ、毎日「ふじ食堂」で我武者羅に働いていたのだった。

時は経ち、富士通須坂工場に社員食堂ができると、工場では昼食時の社外への外出を禁止したためにその波紋は自然と富士食堂への来店客数にも響いた。来客数の低下から店を切り盛りしてきた兄弟は、兄がそのまま食堂を、弟は新天地を目指すこととなり市内の本上町に空き店舗を借り、店を開店することになった。

10畳あまりの狭い店舗ではあったが、頑張るしかない。
弟は腹をくくり無我夢中で仕事に励んだ。

新しい店では、以前にその土地に焼肉店があったこともあり、そこに今まで行っていた食堂を組み合わせ焼肉食堂を営んだ。以前の店の名が「みの里<みのり>」だったことから屋号を「みのり」とした。

そうです!この時独立を果たした弟こそ現マスターである「小林一則」なのです。


当初、認知度も少なかったせいかお客は入らない。そこでマスターは考えた。「何か他では真似のできない味を作らなければならない・・・」と
そこで研究と苦労の末に完成した料理が「ホルモン焼き」。

このホルモン焼きの味の良さのおかげか、徐々に来客数が増え、経営は安定した。そして「ホルモン焼き」はみのりの看板メニューとなる。 狭い借り店舗ではあったが、「一国一城の主」を夢に見て日々邁進したのであった。

「みのりといえばホルモン焼き」が定番になりかけた昭和55年。遂に念願だった自分の店を立町にオープンすることになる。それまで昼、夜していた営業時間も夜のみとした。

時は平成となり、地元有名雑誌への掲載を期に看板メニュー「ホルモン焼き」を屋号を付けた「みのり焼き」と変更した。そして更に地元の方々より愛される人気メニューとなった。

長男入園記念写真 みのり店舗地鎮祭昭和55年
旧みのり昭和48年(長男入園記念写真 )
みのり店舗地鎮祭昭和55年
みのり建設中の写真 みのり昭和55年頃
みのり建設中の写真
みのり昭和55年頃
みのり上空平成6年
みのり上空平成6年 ( 区画整理前 ) 赤線が現在の交差点です。


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