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焼肉居酒屋 みのり
■住所
長野県須坂市大字須坂252-4
県立須坂病院東側
営業時間17:00〜24:00(日曜休)
どんなに暇でも24時まで営業!
TEL 026-245-7467
FAX 026-245-7462
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店の紹介
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店舗へのアクセス
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店舗周辺地図
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メニュー紹介
宵の町を照らす赤ちょうちん。
自然豊かな伝統の町「信州須坂、蔵の町」に店をかまえて四十年。
お客様が毎日立ち寄りたくなる店を目指し、皆様に満足していただけるよう常日頃より努力を重ねております。
当店オリジナルの味付け豚ホルモン料理「みのり焼き」をはじめとする各種焼肉、また、毎日変わる刺身や季節感を感じる山の幸も取り揃え、個々の素材とお客様の五感をくすぐる味作りに努めております。
お近くにお越しの際はお気軽にお立ち寄りください
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日本料理人が作り上げた渾身の豚ホルモン料理
焼肉居酒屋みのりの創業者であり、味付け豚ホルモン料理みのり焼きの開発者である小林一則は、中学卒業と同時に「日本料理」の世界に入った。
数年間の厳しい修行時代を送った後、若干24歳にて独立。
「みのり」の名で食堂を始めた。
食堂を始めた地が、以前は焼肉屋だったことから焼肉の料理も出していた。
「店の目玉商品の必要性」を感じたことから、オリジナルの味付けをほどこした豚ホルモン料理を開発。度重なる失敗を経て現在の製法、味付けに至った。
オリジナル商品ということで商品名を「みのり焼き」とした。
その後、店の移転を機に焼肉をおつまみにお酒が飲める「焼肉居酒屋」に転身、現在に至る。
日本料理は素材の味を活かし5感で楽しむ料理。
みのり焼きはそんな日本料理らしい素材の味を活かした味付けと、素材の良し悪しがわかるが故にホルモンの処理にこだわっている。現在も、料理の味付けと自分熱き思いを後継者に語り続け現場で働いている。 |
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みのり焼き専用鉄板が一家に一台の時代に
みのり2代目である小林義則は、師匠である先代より「みのり焼き」の味付けと共にその熱き思いも直伝された。
「みのり」のホルモン伝導師を自称し、常に自信と情熱を持ってお客様へ「みのり焼き」をお出ししている。
そんな伝導師の夢は“みのり焼きを全国の庶民食にする”こと。
店舗で使われている「みのり焼き専用鉄板」が、一家に一枚、まな板や包丁と同じように炊事道具として持つ日がくること。
店の隣町に豚の処理場があることから、毎日新鮮な豚ホルモンが手に入る。その日の新鮮なホルモンを臭みを取るために丁寧に何度も手洗いを繰り返す。
先代の時代より40年間続けられてきた製法と、40年間「減っては足す」を続けられてきた「秘伝のタレ」をしっかりと守り続ける。
生ホルモンを自信をもってお出しするには、手間隙惜しまず、単調な仕事を長時間行う事が必要なのだ。
先代の味と意思を継ぎ、今日も日本全国のみのり焼きファンのために、心を込めてみのり焼きを作る。 |
時は今より四十数余年前。
長野県須坂市はこれまでの製糸業の町から精密機械の町へと変換の時期を迎えていた。その中でも富士通須坂工場では数千人もの従業員が働き、朝の出勤、昼の昼食、夕方の帰宅時には蜂の巣を叩いたのごとくに人が出入りしていたのであった。
富士通須坂工場の目の前にあった「富士食堂」。
若き板前兄弟が切り盛りするこの店にも昼夕時には溢れんばかりの人々が来店いた。
この兄弟見かけは若いが、高校時代から須坂市の隣、長野市権堂町の名門「料亭松竹」にて十数年間四季の料理と和食の基本を習った後、あちこちの旅館やホテルの板前として修行を積んできた という経歴をもつ根っからの板前兄弟。この兄弟はお互い妻子があったが、二家族狭い店内にて住み込みで働き、いつか大きくなることを夢を
見つつ、毎日「ふじ食堂」で我武者羅に働いていたのだった。
時は経ち、富士通須坂工場に社員食堂ができると、工場では昼食時の社外への外出を禁止したためにその波紋は自然と富士食堂への来店客数にも響いた。来客数の低下から店を切り盛りしてきた兄弟は、兄がそのまま食堂を、弟は新天地を目指すこととなり市内の本上町に空き店舗を借り、店を開店することになった。
10畳あまりの狭い店舗ではあったが、頑張るしかない。
弟は腹をくくり無我夢中で仕事に励んだ。
新しい店では、以前にその土地に焼肉店があったこともあり、そこに今まで行っていた食堂を組み合わせ焼肉食堂を営んだ。以前の店の名が「みの里<みのり>」だったことから屋号を「みのり」とした。
そうです!この時独立を果たした弟こそ現マスターである「小林一則」なのです。
当初、認知度も少なかったせいかお客は入らない。そこでマスターは考えた。「何か他では真似のできない味を作らなければならない・・・」と
そこで研究と苦労の末に完成した料理が「ホルモン焼き」。
このホルモン焼きの味の良さのおかげか、徐々に来客数が増え、経営は安定した。そして「ホルモン焼き」はみのりの看板メニューとなる。
狭い借り店舗ではあったが、「一国一城の主」を夢に見て日々邁進したのであった。
「みのりといえばホルモン焼き」が定番になりかけた昭和55年。遂に念願だった自分の店を立町にオープンすることになる。それまで昼、夜していた営業時間も夜のみとした。
時は平成となり、地元有名雑誌への掲載を期に看板メニュー「ホルモン焼き」を屋号を付けた「みのり焼き」と変更した。そして更に地元の方々より愛される人気メニューとなった。
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旧みのり昭和48年(長男入園記念写真
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みのり店舗地鎮祭昭和55年 |
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みのり建設中の写真 |
みのり昭和55年頃 |
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みのり上空平成6年 (
区画整理前
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赤線が現在の交差点です。
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